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Pelle der Eroberer (TV) ペレ/征服者ペレの少年時代

東ドイツ映画 (1986)

原作の『Pelle Erobreren』(1906-10)の作者ネクセ(Martin Andersen Nexø)(1869-1954)は、デンマークで初めて本格的に労働者の生活を描いた作家で、デンマーク人の初の社会主義者(のち、共産主義者)でもある。第二次大戦中はナチスから逃れてソ連に行き、戦後は死ぬまで東ドイツのドレスデンで暮らし、名誉市民となった。『Pelle Erobreren』は、1.少年時代、2.徒弟、3.苦闘、4.夜明けの4部構成で、映画は第1部を描いている。第1部は24章に分かれており、その中には映画に採用されていないエピソードも多い。東ドイツ版の映画化は、原作に非常に忠実だが、後半になるに従い、「抄録≒省略」と言っていいほどスピードアップし、尻切れトンボのような形で終ってしまう。TV映画なので、1時間半という枠に縛られたのかもしれないが、バランスが悪過ぎる。一方、評価の高いデンマーク版は2時間半近くもあり、この1時間の差は大きい。もう1つの弱点は、東トイツという社会主義国であったにもかかわらず、19世紀末の悲惨な労働環境を「きれいに」描き過ぎているため、切迫感に乏しいことである。むしろ、ルーマニアのイオン・クリャンガ(Ion Creangă)(1839-89)作の『Amintiri din copilărie(少年時代の想い出)』に近い仕上がりとなっている。1年後に作者の生まれ故郷デンマークで製作された『ペレ』の方が、原作からの逸脱がかなり大きいにもかかわらず、より大きな感動を与えるのは、原作に加えられた大きな変更や、東ドイツ版にはない追加エピソードに加え、全編を覆う暗いムードや登場人物の汚れきった姿が「悲惨さ」を強調しているからである。もし、『Pelle Erobreren』という大河小説を、「映画」という視覚芸術として観るのではなく、原作の映像化体験として味わいたいのであれば、後半に不満は残るが東ドイツ版の本が「適切」だと言える。例えば、デンマーク版では、ペレが地元の少年たちから海氷上で虐められるシーンがあるが、原作にはそんな場面はない。デンマーク版には、裕福な漁師の息子が、ペレの農場で働く若い娘と恋に落ち、不倫の恋の始末を赤子殺しで終られせたことへの罪の意識から、嵐の海で座礁した船の乗組員を助けて死ぬシーンもある。しかし、原作では、「恋」そのものがペレの来島前の物語なのだ。だから、東ドイツ版には、デンマーク版のクライマックスとも言える難破船のシーンもない。さらに、 ペレ自身に関しては言えば、原作には、アメリカへの夢を語って聞かせるメンター的な使用人は登場しない。だから、東ドイツ版にも登場しない。原作の第1部の最後で、ペレは父を残して農場を出るが、それは逃げ出すのでもなければ、アメリカや世界を見るためでもない。島の町で仕事に就くためだ。だから旅立ちは平和で明るい。東ドイツ版もその通りで、単に第2部への通過点に過ぎない。デンマーク版では、必死の逃走だ。しかも季節は原作と違い雪で覆われた冬。前途に何が待ち受けているか分からない厳しさがひしひしと伝わる。2つの映画のスタンスの違いが、最も鮮烈に現れている。

→ 対比 : デンマーク版のペレ

東ドイツ版のペレは、原作を忠実に映像化しているが、時間の関係で省略も多い。映画の内容と原作の章立ての関係を示すと、次のようになる(カッコ内が章番号)。映画は、スウェーデン南端部の農村で育ったラッセが、妻を亡くした後、身上をつぶし、幼い息子を連れ、骨を埋める気でデンマークの離島にやって来たところから始まる。年寄りと小さな子供なので、雇い手がなく焦るが、最後に島でも最大級のストン農場に牛飼いとして雇われる(1)。2人は、農場に到着し、ひどい住環境に愕然とする(1)。ペレは、やったこともない牛の放牧には1人で行かされ苦労する(4)。父は、清潔さ保つため、毎日曜に、ペレの体を洗い(3)、きれいな服を着せてやる。しかし、このことが、逆に、管理人の助手に、ペレを辱めてやろうという気を起こさせる(3)。この卑劣な行為に父は激怒するが(3)、結局、口だけに終わり、ペレをがっかりさせる(3)。ペレが牛の扱いに慣れた頃、農場主の私生児のRudと出会い(4)、大の友人となって夏中一緒に遊ぶ(4)。ペレは農場の女主人フルーのお酒をこっそり買いに行ったのが主人に見つかり、フルーは怒るが、主人には褒められえお駄賃にお釣をもらう(2)。冬になり、期待していたクリスマス・イヴの食事は最低だった(7)。その後、ペレは、馬動力の脱穀機を終日回し続け(8)、作業では怪我人も出てしまう(8)。Rudとの絡みでは、主人にもらったコインを欲しがったRudが、自分を100回叩かせるシーンが面白い(9)。2年目の冬がやってきて、ペレは初めて学校に行かせてもらえる(1011)。学校で覚えたMの字を父に教えるペレ(10)。しかし、その直後、父は雄牛に突かれて怪我をしてしまう(12)。その頃、港に凍死者を乗せた船が入り、漁民の子でないペレが物珍しげに見ていたので反発を買う(11)。ペレは、子供たちの目の前で海に飛び込んでみせ、勇気のあるところを見せる(11)。その結果、凍えそうになったペレは、途中でオルセン夫人に助けられる(15)。父は、農場を出て一緒に暮らす相手として、夫が数年前から行方不明になったままの夫人に興味を示す(15)。一方、農場では、女主人の姪が長期滞在に訪れた(16)。ペレは、オルセン夫人から、夫が水死したというお告げがあったと伝えられる(15)。それを聞き、勇気百倍した父は夫人の家を訪れる(15)。ここで、農場でのエリックという破壊分子的な雇い人のエピソードが3つ入る(13)。そして、いきなり、姪が農場を立ち去る(19)。それは、農場の主人の私生児を身ごもってしまったからで、結果として、激怒した女主人は夫を自ら去勢する(19)。ペレたちにとっての大事件は、オルセン夫人の夫が突然帰宅したこと(22)。ペレの父は夢が破れて絶望する(23)。そこに、ペレにとって重要な儀式である堅信礼を受けさせてもらえないという事態が発生する(22)。理由は、父とオルセン夫人の関係を皮肉った牧師の息子を、ペレが怪我させたから(22)。そこで2人は女主人に直訴し、この問題を解決してもらう(23)。その直後、管理人に喧嘩を売ったエリックが廃人になるというハプニングもあった(14)。ペレの堅信礼は無事に済み(23)、ペレは島の町で仕事に就こうと、農場の全員に別れを告げて旅立って行く(24)。こうして流れを見てみると、途中、数字が抜けてはいるが、ほぼ原作の順番に沿って映画が作られていることが分かる。デンマーク版にある、赤ちゃんを殺した若い漁師(5)、学期末試験とペレの動く耳(11)、女主人のペレへの好意(12)、2 x 2 は5(17)、難破船の救助に向かった若い漁師の死(17)、誕生日のナイフ(18)、夏至祭(18)、オルセン夫人と父との関係へのひやかし(20)、ペレの喧嘩(22)、先生の授業中の死(22)、仕立屋による仮縫い(23)などは割愛されている。

原作の後日談について、簡単に触れておこう。ペレが島に来た時は8歳。4度冬を迎えて4月末に旅立つので、その時点で12歳。4年間勤めたので、父は400クローネもらっていることになる。お酒も買っているがほとんど使ってないはずなので、餞別のお金はある程度渡せたはずだが、その件について原作では一切触れられていない。もし、数10クローネのお金があったら、ペレはコペンハーゲンに出てもいいのに。なぜか島から出ずに、町の靴屋で18歳になるまで徒弟として働く。一方、父のラッセは、ペレがいなくなると、1人で牛飼いはできないと悲観し、ストン農場から出て行ってしまう〔意外や、カルナとは一緒ではない〕。ペレは、父が失踪したことを偶然知り、島中の情報に詳しい馬方らに聞くが、居場所がつかめない。しかし、偶然、カルナの貯めた1000クローネを元手に、小さな農場に2人で暮らしていることが分かる。ただ、一緒には暮らしていても、そしてオルセン夫人の時のような制約はないのに、2人は正式には結婚していなかった。その後は、ペレと父が親しく交流する時もあるが、やがて疎遠となり、徒弟の年季が明ける頃には、カルナが病死し、父は借金で農場の権利を奪われてしまったことを知る。そして、その父を島に残して、ペレはコペンハーゲンへと旅立つ〔ここまでが第2部〕。「征服」という言葉は、事業家となって成功するという意味ではなく、自らの属する労働者階級にとって、よりよい世界を作り出そうとする挑戦を意味し、そのためにペレは闘う〔第3部〕。そしてデンマークの労働運動の指導者となる〔第4部〕。まさに著者のネクセを彷彿とさせる内容だ。第3部と第4部に英訳本がないのは、そのためであろう。すべてを読んでみたい方は、http://www.fullbooks.com/Pelle-the-Conqueror-Complete.html を参照されたい。

ペレ役のシュテファン・シュライダー(Stefan Schrader)については詳しいことは何も分からないが、非常にきれいな少年だ。あまりにきれいすぎて、どう見てもペレらしくないのが、唯一の欠点だ。着ている服はいつも清潔できちんとしているし、顔も汚れていない。デンマーク版のペレ・ヴェネゴーがいつもボロを着て、薄汚れた顔をしているのとは大違いだ。これは監督の責任だが、本当のペレは、美少年でも構わないが、もっと汚れている方が自然だと思う。


あらすじ

1877年5月1日、日本では明治10年、スウェーデン南端の小さな港ユースタッド(Ystad)を出た帆船がスウェーデンとポーランドの間にあるデンマーク領のボーンホルム島(Bornholm)に着く。スウェーデンからの最短距離は40キロ、ドイツから90キロ、ポーランドから100キロ、デンマークからは140キロも離れている。面積は588平方キロ。日本では、淡路島(592平方キロ)に一番近い大きさだ。19世紀末のボーンホルム島は、農業と漁業と石材が主産業だった〔デンマークでは例外的な岩石の島〕。船にはスウェーデンからの出稼ぎ労働者が数十名乗っていた。港にはそうした労働者を雇おうと、多くの農民が集まっている。父のラッセは、1人の太った農夫を指差し、「見てみろ、ペレ、あの人なら子供に優しそうだぞ。試してみるか?」と話しかける(1枚目の写真)。この台詞は、原作の第1部の1章に同じものがある。農夫の返事は映画では語られず、首を振る姿と、がっかりするペレの顔で代替されているが、原作(青字)では、「子供が小さすぎて、食い扶ちが出せん」と断られる。そして、「いつも、返事は同じだった」と書かれ、類似の会話は省いている。また、原作では、この直後に、過去の経緯も書かれている。すなわち、ラッセは、妻の出産と飼っていた牛の死の穴埋め、冬への備えのため、10年前にこの島に来ていた。その時は、まだ元気一杯で、3ヶ月働いただけで100クローネを稼いで帰国ですることができた。しかし、妻の産後の肥立ちが悪く、家財を売って医療費に宛て、死後は8年間頑張ったが、遂に、妻の長持ちと8歳になる息子の他は裸一貫で、運命を再びこの島に託すことにした。ラッセは老い、そして、もう帰る所がない。これが、ラッセの島での行動を方向付ける。さて、ここからは、映画の中でのナレーション。「ペレは、2人が約束の地に着いたことを知っていた。そこでは、最も貧しい少年ですら、豚脂と砂糖をつけたパンを食べ、道にはお金が敷いてあると」。父から聞かされていた話は、とんでもないでたらめだった。10年前に父はこの島に来たはずなのに、なぜこのような話をしたのだろう? 船でやってきた求職者がすべて引き取られ、父はやけ酒を買いに行き、1人だけになったペレは、心細くなって泣き始める(2枚目の写真)。「ペレは絶望的だと思い込み、袋を持って泣き始めた」。一杯機嫌で戻ってきた父は、その姿を見て、「子供の涙でぬれた頬と鼻を、ざらざらした手でそっと拭ってやった」(3枚目の写真)。短い映画なのに、到着のシーンだけは原作にきわめて近い。
  
  
  

誰もいなくなった時、1台の荷馬車が遅れてやって来て、2人の前で停まる。やって来たのは、島でも最大級〔原作による〕のストン農場の管理人。「仕事が欲しいのか?」。「そうです。2人とも、同じ農場を希望します。狐とガチョウみたいに」。管理人は、「で、その子は、親方になりにきたのか?」と冗談を言って、馬の鞭でペレを叩く。「はい、そのうちきっとなると思います」。「ニシンの塩漬けをがつがつ食うだろうな。ところで、俺は牛飼いが要るんだ。1年で100クローネやる。その年じゃそれが精一杯ってとこだろう。もちろん、そのガキにも働いてもらう」(1枚目の写真)「お前は、ガキのじいさんか?」。「親父です」。「そうか。一緒に連れて来たからには、相応の訳があるに違いない。まあいい、上がれ。いつも、こんなに運がいいと思うなよ」。父も負けてはいない。「でも、3食ともニシンとジャガイモのスープじゃ困りますよ。ちゃんとした寝室も欲しいし、日曜は休みにしてもらわないと」と言いながら長持ちを荷台に上げる。管理人は、笑いながら、「なら、欲しい時には、ブドウの入ったロースト・ポークを食べさせてやるか」〔全くの嘘〕と言って、ラッセが乗るのも待たずに荷馬車を出す(2枚目の写真)。この部分の台詞は、基本的に原作と同一。それにしても、10年前は3ヶ月で100クローネだったのに、1年間で、しかも、ペレまで働いて100クローネとは、足元を見られたものだ。なお、お金の換算は非常に難しい。WEB上では現在の110~275万円という推定もあるが、1875年1月にデンマークに導入された金本位制では金1キロが2480クローネに決められたともある。2017.1.27の金相場は1キロ473万円なので、100クローネ=19万円となる。19万円と275万円では、あまりに違いすぎて、特定は困難だ。デンマーク版では、お祭りの屋台でジンジャーブレッドが1個1オーレとある。乱暴だが、これを推定基準とすれば、1オーレ≒100円、100クローネ≒100万円となる〔1個50円なら、100クローネ≒50万円〕。
  
  

2人を乗せた荷馬車は大きな中庭に入って行く(1枚目の写真)。中庭といっても、30メートル四方くらいの泥んこの作業空間があるだけだ。正面にはさして立派でもない館が建ち、周りに貧相な小屋が並んでいる。原作では、「明るいうちに、彼らは目的地に着いた…ここが彼らの新しい家だった。地上で住むことが許された たった一つの場所だ」と書かれている。中庭ではちょうど、夕食の鐘が鳴らされ、使用人が10数人集まっている。そして、荷馬車の中から現れた老人と幼い子供を見て、みんなが笑い出す(2枚目の写真)。厳しい農場の労働の担い手としては、不適切と判断したからだろう。「じいさんが、何の用だ?」「もっとマシなの、いなかったんか?」。そして、みなが食事に行き、中庭はあっという間に2人だけになる。牛飼いなので、住む場所は牛小屋。牛の柵の間、藁を上に布を敷いただけのベッド(?)が1つだけある。ナレーション:「ここでは、真の幸せは得られないだろうという薄気味の悪い想いがラッセの頭を過ぎった。絶望的なまでに無防備な感じが彼を圧倒し、息子に対して自分が如何に無力かという恐怖が体を震わせた」(3枚目の写真)。その時、馬車が走り出す音がし、農場主が1人で出かけて行った。玄関から飛び出てきた女主人が、力なく館に戻って行くと、しばらくして悲しい叫び声が中庭に響き渡る。映画では一切の説明がないが、原作の2章によれば、かつてストン農場の持ち主だった男は2度結婚し、2度目の結婚で1人だけ娘を得た。娘は11歳で女性になり、会う人みんなに秋波をおくったが、父親の銃が恐ろしくて誰もそばに寄らなかった。その後、彼女は180度変わり、男の服を着て岩場を歩き回り、誰も寄せ付けなくなった。今の主人のコンストロップは20年前に島にふらりとやって来て、荒野を徘徊していて、同じく荒野にいた彼女と問題を起こし結婚した。その後の農場の運営は、この部外者の勝手気ままな方針でめちゃめちゃとなり、使用人はないがしろにされ、農場の本来の持ち主であるフルー夫人は、入婿の浮気に苦しめられることになる。その夜、夫は馬車で町まで女遊びに出かけ、それを恨んだ夫人が叫んでいたのだ。そして、こうした長期の歪んだ関係が、農場全体を重苦しい空気で覆っている。
  
  
  

ペレが、初めて牛を牧草地に連れて行くシーン(1枚目の写真)。これについては、原作の4章で言及がある。「彼は小さかった、そして、立場に伴う大きな力を牛に認めさせる難しさに直面した。牛を従わせるための大きな声も出せなかった。皮膚に小さな三角の傷を残す鞭攻撃も、何の効果もなかった。木靴で頭を蹴っても、牛は気持ち良さそうに目を閉じて、悠然と草を食べている。やけになり、かっとして、やみくもに目を狙っても駄目だった。子牛なら尻尾を曲げれば動かせたが、雄牛の尻尾は硬すぎて曲がらなかった」。こうした、苦労が、お尻を押しても動かなかったり(2枚目の写真)、帽子を投げて走りまわっている姿(3枚目の写真)として映像化されている。
  
  
  

原作の3章に、6月の初めの日曜日、バケツ1杯の水と、石鹸で、ペレが体を洗われる、という記述がある。父は、「我慢しろよ。今日は日曜だ」と言って、頭から水をかける(1枚目の写真)。そして、「昼までに終って欲しかったら、じっとしてろ」と言って、布で水気を拭き取る。その姿を、管理人助手がこっそり見ている。それに気付いたペレが、父に注意すると(2枚目の写真)、「後ろにいたか、このスパイ野郎め。いつか殺してやる」と、強がりを言ってみせる。この言葉は、原作では2章の別のシーンで使われる台詞だ。洗い終わるとペレは、きれいな服を着る。それが毎日曜の「行事」でもあった。
  
  

その後、原作でも映画でも、ペレが大きな回転式の犬小屋の屋根の上に乗り、ぐるぐる回して遊ぶシーンがある。それを見ていたさっきの助手が、意地悪をしてやろうと、馬車置き場の扉を開けて、ペレに入って来いと命令する。ペレが中に入ると、助手は扉を閉める(1枚目の写真)。真っ暗な中で、助手に何かをされり。再び扉が開くと、ペレの目の前には、日曜らしくちゃんとした服を着た使用人が10人弱、笑って見ている(2枚目の写真)。最初ペレは、どうして笑われているか分からなかったが、ふと見ると、ズボンがくるぶしまで下げられている。簡単には上がらないので、馬車置き場に戻ろうとするが(3枚目の写真)、助手に鞭で叩かれてしまう。恨みがましい顔で助手を見るペレ(4枚目の写真)。仕方なく、しゃがみながら扉に向かう。ここから先は、東ドイツ版はかなり省略されていて、デンマーク版の方が原作に忠実である。原作の記述を紹介しておこう。「彼は、白日の光の元、半裸で立っていることに気付いた。ズボンはくるぶしまで下げられ、シャツはチョッキの下までまくり上げられていた。助手は、馬鞭を片手に持ち、裸の部分を叩いて『走れ!』と叫んだ。彼は、恐怖と混乱を来たして中庭に向かって突進したが、そこでは女中達が大声で笑っていた。そこで、小屋に戻ろうとしたのだが、そこには鞭が待ち構えていて、無理矢理日の光の下に戻らされた。彼がカンガルーのように飛び跳ねる姿は、ますます笑いを誘った。彼は、立ち止まると、心ない言葉を浴びながら、どうしようもなく泣き出した。もう鞭などどうでもよかった。彼は、うずくまり、最後には、地面にうつ伏せになって、発作的にすすり泣いていた」。後半が省略された東ドイツ版からは、ペレが辱められる非情さがあまり伝わってこない。
  
  
  
  

この窮状を救ってくれたのはカルナだった。太った中年の優しい女性で、地下室から飛び出てくると、ペレを布でくるんで抱いてやり、笑っている連中に「子供になってことを!」と怒鳴りつける(1枚目の写真)。一足遅れて駆けつけた父は、カルナに抱かれた姿を見ただけで、ハンマーを取り上げて「殺してやる」と馬車置き場に向かうが、笑っていた群集に思い留まるよう制止される。東ドイツ版は、省略が多すぎ、この場面も不適切だ。父ラッセは辱めの現場を何も目撃していないし、当事者の助手はとうの昔に逃げていない。すなわち、①何が起こったか知らない、②助手がやったとも知らない、③馬車置き場が現場だということも知らない。それなのに、なぜ助手を追って馬車置き場の奥に行こうとしたのか? 原作では、「ラッセは、少年から何が起きたか聞くと、ハンマーを掴み、助手を殺してやろうと捜しまわった」とあり、整合性は取れている。この点、デンマーク版では、息子が辱められているのをラッセが目撃する設定なので、怒りが爆発するのも素直に頷ける。なお、事後での、牛小屋での父とペレの会話は、2つの映画とも原作を踏襲している。「あいつをどうやって殺すの、父さん?」。「ハンマーだろうな」。「ほんとに? 犬みたいに殺すの?」。「ああ、必ずな」。「そしたら、誰が名前を読むの?」。「名前だと?」。「牛の名前だよ。柱に書いてあるやつ」。原作では、この後で説明が入る。「それぞれの牛の名前は仕切りの上にチョークで書いてあったが、ラッセもペレも読むことができなかった」。デンマーク版では、もっと前の場面で、2人が牛を識別できないことを示すシーンが別途挿入されている。この会話の後、父は、長持ちから妻ベンカの記念の品〔原作の3章:「家畜市や休日の幸せの思い出の詰まった 安くても美しい装飾品」〕を取り出し、それを撫でながら、「もし、あいつが口をきけたら、こう勧めるだろうな… わしらは、奴を、犬みたいに鞭打つだけで良しとすべきだと」(2枚目の写真)。東ドイツ版では、その後、何の説明もなく、この貴重な思い出の品がカルナの手に渡っている。カルナは、「ペレ、父さんにありがとうと伝えてね」と言うが、それだけで終わり。効果ゼロ。しかし、原作でも〔15章〕、デンマーク版でも、この思い出の品は、後半になって、再婚を期待してオルセン夫人にプレゼントされ、大いに効果を上げる。
  
  

事件後、初めて助手が牛小屋に入ってくるシーン。それを見たペレが、「父さん、あいつが来たよ! 鞭で叩くの?」と訊く。しかし、父は、「だめだ、何もしないでおこう」と弱気に出る(1枚目の写真)。「この手で殺すことはできるが、奴のようなロクデナシは、どうせ長持ちせん」。「もし、またやられたら?」(2枚目の写真)。「無事には済まさん。ひっつかんで、地面に叩き付けてやる」。ここで、助手が「ラッセ!」と怒鳴る。「呼ばれてるのが聞こえんのか、このスウェーデン野郎?! つんぼなのか?」。「それは分かりますが、あんたさんは… その、わしは父親として… あんなことを…」。「何をごちゃごちゃ言っとる。お前は、呼ばれたら返事をしろ。さもないと管理人に言いつけるぞ。分かったか?」。「悪かったです、助手さん。でも…」。「エスペイシアが明日は牧草地に行かんことを忘れとるじゃないか」。「行かない? 子牛を産むんで?」。「もちろんだ。子馬を産むとでも思ったのか?」。完全にバカにされ、立ち尽くす父。それを見てがっかりしたペレは、父に呼ばれても耳を塞ぐ(3枚目の写真)。耳を塞ぐ場面以外は、ほぼ原作を踏襲している。この後、夜になり、ベッドに横になって泣き続けるペレに、父が語りかける言葉は実に感動的だ。原作を加えて紹介しよう。「ラッセは、哀れな存在だ。年老いて哀れ。みんなにバカにされるが、もう怒る気力もない。拳に力が入らない。だが、入ったとしても、それが何になる。何もかも我慢するしかない。そしてひたすら働く。感謝すら口にせねばならん。老いたラッセとは、そういうもんだ。だが、覚えておけ。甘んじて 不当に扱われているのは、お前のためだ。もし、そうでなかったら、こんな所、すぐにおん出てやる。老いたりといえどもな。お前は父を踏み台にして大きくなればいい。だから、もう泣くのはやめろ」(4枚目の写真)。この言葉を聞いたペレは、感極まって父に抱きつく。デンマーク版では、東ドイツ版でカットされた最後の部分が、「年取るとはそういうことだ。だが、お前は若いんだ、ペレ。世界を支配することだってできるんだ」、と鼓舞する形に変わっている。
  
  
  
  

2度目の放牧シーン。ペレは、もう、牛の扱いに十分慣れている。ここでペレは、初めてRudに会う。コンストロップと極貧の女性の間の私生児だ。身分違いのため、相手にもされない。この子の名前は、カタカナでは標記不可能なので、そのまま原語で表示する〔強いて書けばウズ〕。なお、原作では、放牧地ではなく、もっと早い段階(3章)で、農場のすぐ外で偶然会うことになっていて、「ペレと身長は同じだが、頭の大きさは大人と同じくらいあった。最初は禿頭のように見えたが、太陽の光が当たると、銀色にきらきら光って見えた。細くて白っぽい毛(プラチナ・ブロンド)で覆われていたのだ」とある。因みに、東ドイツ版はブロンドで顔はやや長め、デンマーク版は顔はもっと大きいが、髪は赤毛。Rudは、「吸うか?」と言って長いパイプを見せる。頷くペレ。「お前の朝食 くれよな」。パンを半分に分けるペレ(1枚目の写真)。「年寄りのラッセがお前の親爺か?」。「そうさ、誰でも殴れるんだぞ」。「俺の親爺は何でも買えるんだ」。「そんなことができるのは、農場の主人だけだ」。「あいつが親爺なのさ」。「なら、なんで農場に住んでない?」。「私生子だからさ。それにお前と同じ、スウェーデン人だ」。大筋は原作通りだが、タバコとパンの交換は4章の後半だし、スウェーデン人だという記述はない〔Rudがペレの怖がりを、「お前はスウェーデン人だからだ」と言う下りがある〕。2人は大の仲良しになる。原作の4章。時期は真夏。「太陽が照ると、彼らは全裸で走り回った。彼らは、管理人が怖かったから海には行かなかった。大きな家の屋根裏からペレを望遠鏡で監視していると思い込んでいたので。その代わりに、彼らは小川で水浴びした、出たり入ったりして何時間も。水浴びをしていない時は、砂の小山の下で日光浴にいそしんだ。彼らは、自分たちの体を綿密に調べ、いろいろな場所の使途について議論した。いろいろな点で、どちらが優れているか、よく口論になった。例えば、ペレは、Rudの不釣り合いに大きな頭が羨ましかった」。映画では、2人が全裸で仲良く戯れる姿を、海の小岩と、岬の草地での日光浴の2シーンで示しているが、原作では海は禁じられた場所だった〔管理人が監視していたので、ペレは近寄らなかった〕。最後のシーンは、原作にあり、デンマーク版にはない数少ないシーンの1つ。4章で、朝のひどい雨の後、牛の背で服を乾かして全裸が寝転んでいると、神への冒涜だと咎められる。そして、その後、お昼にRudが現れてからのエピソード。2人は、地面に鼻をつけて野ネズミの巣を捜し始める。そして、草の根を剥ぎ取ると、中には10匹ほど赤ちゃんネズミが固まっている。それを見たペレは、「うへぇ、気持ち悪ーい。ヒキガエルよりぞっとする。きっと毒があるんだ」と嫌がるが、Rudは「毒だと? 歯さえないんだぞ。骨だってな。食べることもできる。俺、1匹食うから、お前も食うか?」。「うん」。「無理だな。そんな勇気なんかないさ」。「よこせ」。Rudは1匹渡し、ペレがしっぽをつかむ。「怖かったら、目を閉じてりゃいいんだ。それから、口を思い切り開けるんだ。大きくな」(4枚目の写真)。この時点で、小さな赤ちゃんネズミは動いているので本物だ。その時、Rudがペレの手を叩き、ネズミの赤ちゃんはペレの口の中へ〔俳優も大変だ〕。慌てて吐き出し、何度もツバを吐く。演技が真に迫っているのは当然だろう。
  
  
  
  

次が、原作の2章。農場の不幸な女主人のコニャックのエピソード。ペレがフルーに頼まれ、村の店までコニャックを買いに行き帰ってくる。泥だらけの中庭は裸足で走り抜け、館の階段の所で木靴を履くのは、逆さまのような気がして面白い。そして、玄関の中に入ると、そこにカンストロップが待ち受けていた。「スモックの下に隠しているものを見せるんだ」。「奥様が、誰にも見せるなって おっしゃいました」。「そうか、いい子だな、入れ」。そう言って、書斎に入らせる。「瓶をここに置くんだ。私から奥様に渡そう。それなら、誰も見ないだろ?」。ペレは、恐る恐る部屋をつっきり、机の前でコニャックの瓶を取り出し、主人に渡す(1枚目の写真)。その時、フルーが飛び込んでくる。「君がこの子に頼んだ配達物は、私が受け取ったよ」。ここまでは原作と同じだが、その後のフルーの啖呵は東ドイツ版独自のもの。「この子に見せてやりなさいよ。いつも自分は遊び回っているくせに、コンストロップが奥さんをどう扱うか!」(2枚目の写真)。激高した妻を前に、「もう十分だ」と言って、主人はペレを行かせる。この時、デンマーク版では、ペレは、お駄賃として、お釣の半クローネ銀貨を主人からもらい、それが「Rudの100回叩き」のエピソードに結びつく。東ドイツ版では、銀貨をもらう描写はないが、「100回叩き」の直前に、主人からもらったことを示唆する台詞が入っている。そういう意味では、両方の映画とも「100回叩き」を描きたいため、その原因となる半クローネ(50オーレ)銀貨をペレが獲得する場として、コニャックを使っている。しかし、原作は全く違っている。原作では8章、翌年の春、如何に50オーレを稼いだかの話が出てくる。それはかなり複雑で、島の重要な構成員である石工の1人が、ある日、悪い冗談で、ペレに対し、店で「樺の木の脂」を買って来るようにと50オーレを渡したことが発端。実は、買いに来た奴を、樺の木の小枝で叩いてやれ、という指示なのだが、それを承知で、店の奥さんは、溶けた石鹸を紙に包んでペレに持って帰らせ、お金は取らなかった。石工は、その機転を許し、50オーレはペレのものとなった。しかし、これでは回りくどいので、映画のような筋書きに(偶然、2つの映画とも)変えたのだろう。
  
  

次は、一気にクリスマス・イヴに飛ぶ。両国版とも原作通りではないが、乖離が大きく、より攻撃的なのがデンマーク版で、東ドイツ版はそれなりに原作に近い。原作の7章は、「クリスマス・イヴが大きな失望だった」で始まる。なぜなら、ペレの(ストン農場より小さい農家の)牛飼い仲間の話では、イヴから1月7日にかけてはお休みで、特にイヴの夜には、ローストされた肉、ジンジャー・ナッツやケーキ、甘い飲み物、それにゲームで、楽しくわいわい過すものだった。しかし、ストン農場では違った。ペレは、イヴの数日前から朝2時起きで手伝わされた挙句、結局、従業員用の食堂で夕食に出たものは、干したタラと焚いた米飯だけだった。映画では、ペレではなく父のラッセが、ロースト・ポークや味付けしたナッツがあるものと期待して地下の食堂に降りて行く。そして、「メリー・クリスマス」と元気に声をかけたものの、みんなに白けた目で見られてしまう。2人はカルナに話しかける。ペレは新しい帽子を被り、カルナのために木を削って作った家の模型を渡す(2枚目の写真)。これは、3人で暮らしたいと言い寄るためのラッセの口実に使われる。しかし、この時点では、カルナは自分より若い男に気があり、老人のラッセなど眼中になかった。なお、順序が逆転したが、お屋敷のパーティ(1枚目の写真)については、「上では、盛大なパーティが行われていた。夫人のすべての親戚が招かれ、ガチョウのローストに舌鼓を打っていた」。地下で、みんなが歌い始めると、早速管理人が降りてきて、「騒ぎすぎだ!」と文句をつける(3枚目の写真)。しかし、激しく抵抗する者は誰もいない。デンマーク版では、不満分子としてエリックが重要な役を担うが、原作や東ドイツ版ではエリックは最後にチラとしか登場しない。牛小屋に戻った2人は、並んでベッドに横になる。「こんなクリスマスって、あり?」。「あり、なんだろうな。いいか、一年が過ぎ、新しい年が始まる。イエス様が生まれた夜でもある。まあ、そういうことかな」。父の曖昧な言葉を聞きながら、新しい帽子を被ったまま天井を見つめ続けるペレ(4枚目の写真)。この部分は原作と同じだ。
  
  
  
  

次の2つのシーンは、原作にあって(8章)、デンマーク版にない、最大のエピソード。真冬。ペレが馬動力の脱穀機を回している。中庭の端に置かれた、長い丸太を十文字に組んだ装置で、1本の丸太に2頭の馬をつなぎ、中心軸の回りに馬をぐるぐる回らせる(1枚目の写真)。馬を一定の速度で進ませるのがペレの役目だ。馬の回転が編み出したエネルギーは、その隣に建っている納屋の中の機械を動かし、秋に収穫した穀物を脱穀する。「彼は、1日中、農場の端に設けられた馬の道の周りをぐるぐると回り続けた… 木靴で雪と馬糞を踏みしめながら。それは、これまで彼に課せられた仕事の中で、最も耐え難いものだった。牛飼い少年としての彼は、そこでは主人だった。しかし、ここでは、棒の後ろをただぐるぐると回り続けるだけ。気分転換に回った数を数えてみたが、疲れが増し、よりぼんやりしただけだった」。こうして、エンドレスな単調な作業を続けていると眠くなる。ペレが半分眠りながら歩いているうち、肩にかけていた紐が落ちてしまい、それが中心軸に絡みついて、機械が止まってしまう。停まった棒に当たって目が覚めたペレが紐を解こうとするがうまくいかない。馬を逆向きに戻そうとしても、馬は動いてくれない(2枚目の写真)。助けに来た大人の一人が、「少しは休め」と言ってくれ、ペレもにっこりする(3枚目の写真)。しかし、管理人はペレの代わりに回り始めた男をすぐに呼び戻し、ペレにまた仕事が回ってくる。
  
  
  

次の1枚は、ぐるぐる回りを再開したペレの写真。降りしきる雪があまりに美しいので追加した。同時に、夜を徹しての過酷な児童労働であることも分かる。そうこうしているうち、脱穀機で事故が起きる。作業員の一人の手が機械に巻き込まれたのだ。急いで機械を止めるが、男の手手は血だらけだ(2枚目の写真)。外で待機しているペレの元に父がやってきて、「指が3本だ。一生かたわだな」と教える(3枚目の写真)。事後談だが、原作の10章に、この男は、農場では働けなくなったが、温情で半給をもらい、何とか生きていこうとした。しかし、次第に生活が荒れてきて、最後には農場を追い出され、夏の間は干し草の山で寝ていたが、寒くなると運良く ある女性の家に引き取られたとある。あと2つ話題提供。ここで使われている馬動力の起源は17世紀のイギリスで、炭鉱から重い石炭を引き上げるのに使われた。19世紀の末になっても、こんな原始的な装置が使われているのに驚くが、小規模な機械の動力には、依然として水車や馬動力が使われていた。農場の周囲に川がないので馬動力になったと推定されるが、例えば、日本でも少し古いが、1709年に水車動力を利用した油搾場が広島藩によって作られ、44基の石臼で菜種や綿の実を砕いて灯油を製造している。
  
  
  

原作の9章に、農場に来て1年が経過した2人の変化について書かれている。「父は、笑われ、落胆し、老人の世界に引きこもり、気落ちして、それに順応していった。彼を生かし続けたのは、息子の将来に対する心配だけだった。彼が息子に対して出来たことは少なかったが、それが故に敢えて声を大にし、息子に悪影響を与えるようなことに対しては、前にも増して強硬に反対した。また、彼は、息子が独立しようとする過程にあると悟っていて、最後の力を振り絞ってでもそれを守ってやる気でいた」「一方、、ペレには、父の想いに係わっている余裕はなかったし、理解もしていなかった。彼の成長は早く、自分自身を制御する必要があった。今やもう、父は、後ろ盾にはなりえなかった。ペレは、外界に移されたばかりの小さな植物のような存在で、周囲の環境を理解し、それに適応するという厳しい戦いを始めていた」。そして、再び夏がやってくる。牧草の上に横になり、再びやってきた素晴らしい太陽の季節を満喫するペレ(1枚目の写真)。海を臨む丘の上で、牛たちとゆっくり過す日々は、ペレにとって楽しいものだった(2枚目の写真)。ここでの1番のエピソードは、「Rudの100回叩き」。ペレが1クローネ銀貨をせっせと磨いているのを見て、「その50オーレで、何するんだ?」とRudが尋ねる(3枚目の写真)。「お前にやるために、コンストロップさんがくれたと思うのか?」。「違わい、ブランディーの駄賃だろ」。その後も、Rudは絡む。「いつも手に持ってると、そのうち失くしちまうぞ」。「ポケットに拳固突っ込んでる。これで、一番欲しいもの買うんだ」。「なんで、まだ買ってないんだ?」。「欲しい物、いろいろあるから」。「50オーレで、俺をイラクサで叩けるぞ」。「裸で、100回だぞ」。そして、むき出しになったRudのお尻めがけて、ペレは、イラクサの束を全力で振り下ろす。13回まできたところで、Rudは、「そこで、ちょっとやめろ」と言い、「ごまかさないよう、俺の目の前に置けよ」と迫る。「ごまかすもんか」と言いつつ、Rudの目の前にコインを投げるペレ。コインを握りしめたRudのお尻をめくり上げ、ペレは憑かれたように、全力でイラクサを叩きつける(4枚目の写真)。原作によれば46打目でRudが振り向き、ペレにあっかんべーをする。ペレは夢から覚めたように打つのを止めると、イラクサを捨て泣き出した。一方、Rudは斜面の下まで何とか移動し、ほてったお尻に泥を塗りたくる(5枚目の写真)。
  
  
  
  
  

ここで、農場主コンストロップが馬車で浮気に出かけたすぐ後を、女主人フルーが猛烈な勢いで追っていくシーンが挿入される(1枚目の写真)。それを見ているペレを始めとする人々(2枚目の写真)。ペレの後ろで、カルナがつぶやく。「神様、彼らは取り憑かれています」。さらに父が、「2人とも、悪魔が乗り移ってるんだ」。引き返しながら、カルナが2人に、「お偉い方は、恥ってものを知らないのよ。ご主人様が、ずっと馬鹿ばかりしてたら、農場はどうなっちまうのかね」と話しかける。原作でも、コンストロップの女遊びの直接シーンはなく、町に1人で向かうのが女遊びを意味するのだが、これはそれを映像で示した唯一のシーン。ただ、原作もデンマーク版でも、フルーが西部劇のように勇ましく追いかけるようなことはしない。
  
  

デンマーク版では、1年目の冬からペレは学校に通うが、東ドイツ版は、原作(10章)同様、2年目の冬から学校に通う。冬に通うのは、牛飼いができないからだ。「とうとう実現した! 夕方、ラッセとペレは店に行って、石板と鉛筆を買った。ペレは小屋の入口で、石板を脇にはさみ、胸をときめかせて立っていた。それは10月の凍るような朝だったが、ペレは全身を洗ったばかりでほてっていた。彼は一番上等の上着をはおり、濡れた髪の毛は櫛でとかれていた」「ラッセも含め、家族の誰一人として学校に行った者はいなかった。それは、一族にとって革新的なことで、神の恵みが少年に与えられたとしか思えないことだった。本を読めるような者が、一族から出るなんて! 親方にだって、事務員にだって、ひょっとしたら先生にだってなれるかもしれない」。こうして、早朝、ペレと父は泥濘の中庭を勇んで横切り、学校への第一歩を踏み出す(2枚目の写真)。場面は、いきなり、授業風景に変わる。原作の11章の冒頭に、先生と子供たちが讃美歌を唱和する場面があるが、それの前倒しだ。歌っているのは、プロテスタントで最も知られた「神はわがやぐら」。「私たちの神はかたいとりで、よい守りの武器です。神は私たちを苦しみ、悲惨から助け出してくださいます。古い悪い敵はいま必死にあがいており、その大きな勢力と策略を用いて攻撃してくるので、地上の存在でこれに勝てる者はおりません」。しかし、秩序ある授業は、一人の生徒の叫び声で崩壊し、子供たちは勝手に席を移り始める。手のつけられない状況は、別の男の子の一声でぴたりと収まる。この部分に字幕はなく、原作にも該当する台詞はないので、これ以上は説明のしようがない。静かになったとはいえ、ペレの後方では生徒たちがトランプで遊んでいる。ペレが真面目に本を見始めると、隣にいた子が、それを見て、「このあほう、バカ野郎!」と罵る。それを聞いた後ろの子が、「牛飼いめ!」「スウェーデン野郎!」「どんくさ!」と罵る。振り返って子供達をみるペレ(3枚目の写真)。その時、終業のベルが鳴る。
  
  
  

Mの字のシーンは、学校のシーンから連続している。原作では、11章の賛美歌の直前、10章の最後にある。ペレが、木の杭を野原にMの字の形に並べ、父に文字を覚えさせようとする(1枚目の写真)。「もう忘れたの? 僕は、一度見ただけでMだと覚えたのに」。「今日は、どうかしちまったな。もちろんMだ。で、それが何の役に立つんだ?」。「ミルクの最初の文字じゃないか」。「そうだった。だが、お前が自分で見つけたわけじゃなかろう?」。「自分で見つけたんだ」。「そうなのか? お前も賢くなったな」。ここからは、映画独自の台詞。「それで、先生は毎週新しい賛美歌をやるのか?」。「うん、それで全部覚えてると堅信礼の時、ケーキをもらえるんだ」〔デンマークはルター派なので、プロテスタントでも堅信を行う→このことは、最後に重要な意味を持つ〕(2枚目の写真)。この後、ペレは木の杭を柵の補修に運んで行き、父は、大きな雄牛の近くの杭を斧で揺すって抜き始める。その音に興奮した雄牛が突進してきて、父は跳ね飛ばされてしまう(3枚目の写真)。幸い、たいした怪我ではなかった〔原作12章では、しばらく寝込む〕。
  
  
  

次は原作11章のエピソード。本来は、厳冬の日のはずなのだが、1隻の小船が1人の凍死者と4人の凍えた病人を乗せて、港に着岸する(1枚目の写真)。しかし、東ドイツ版では、海に氷が見えない。港に集まってきたのは漁民の子供たちばかり。農家の子は、「慟哭を共有することは許されない」として追い払われてしまう。「ペレは、むこうずねを蹴られても、仲間外れにされたくないと決意し、近付いていった。子供たちは、陰鬱な表情で、重苦しく話していた。凍えた病人の何人かは、手や足が壊死していて、切断しなければならないだろうと。どの少年も、その苦しみを分け合おうと振舞っていた」。そういう運命共同体の中にあって、どちらかというと興味本位のペレの存在は、確かに目障りだった。死体が前を通っても、ペレ1人だけ帽子を取らなかったので、隣の子に帽子をむしり取られる。凍りついた桟橋でも、ペレは一人ぼっちで、漁民の子供たちだけ固まっている(2枚目の写真)。しかし、これは虐めではない。しきたりであり、礼節なのだ。原作では、「『うせろ』と彼らは脅すように叫んだ。『山出しは、出て行け』。そして、ペレを殴り、『なんで、海を見て突っ立ってんだよ。めまいがして落ちちまうぞ。他の田夫と一緒にいろよ、このカナヅチ野郎』」という一文がある。ペレは、「僕は、君と同じくらいカナヅチじゃない」と反論し、「今、飛び込んで見せたっていいんだぞ」と挑戦する。「氷の海にか? バカ言うな」「痙攣 起こして、凍えちまうぞ」「泳げないくせに」。そして、みんなに大声で笑われる。それを聞いたペレは(3枚目の写真)、木靴と帽子を脱ぐと、海に向かって立つ。急に黙って心配そうに見守る子供たち。ペレは、そのまま飛び込んだ。ただ、桟橋や海岸の石の上に雪はあっても、海には氷はゼロ。デンマーク版の氷で覆われた海(→写真)と比べると、全く違っている。子役が飛び込めるよう、別な季節に撮影し、人工雪を使ったのかと邪推したくなるほど不自然だ。
  
  
  

危険を一番よく知っている猟師の子供たちは大慌て、一番のボスが靴を履いたまま飛び込み、ペレを助けてやる(1枚目の写真)〔→デンマーク版〕。ペレを逆立ちにして水を切った後、原作では、「家まで走れ!」と言われる。「全力で走るんだ。でないと病気になっちまうぞ!」。ペレのバカな行為に対して、結構親身のある態度だ。映画では、この後、原作と違い、途中で、オルセン夫人とぶつかりそうになる(2枚目の写真)。そして、親切な夫人は、ずぶ濡れのペレを見て、凍えると可哀想だと思い、近くの自宅に連れていってやる。そこで、体中を布でくるまれ、暖かい飲み物をもらう(3枚目の写真)。夫人は、体を拭きながら「ちょっぴり瀉血するといいのよ。誰かが船から落ちたらそうするんだって、夫が言ってたわ」と話す。ペレは、「じゃあ、船乗りなの?」。「もう何年もいないのよ」。「遭難したの?」。「どうだかね。もしそうなら、お告げがあるはずだもの」。「お告げ?」。「とにかく、いなくなったの」。原作では、オルセン夫人の登場はもっと遅く、15章。「漁村の外れに1人の女性が住んでいた。その夫は、海に出て行ったきり、もう何年も戻って来なかった。ペレは、学校の行き帰りに2・3度、雨避けに彼女の家のポーチを使わせてもらった。そのうちに2人は、仲良くなっていった。彼は、夫人のためにちょっとした手伝いをし、代わりに熱いコーヒーを頂戴した。寒さが厳しくなると、彼女はペレを呼び入れ、いなくなった夫のことを延々と話して聞かせるのだった」。そこに、映画と似たような会話がある。「きっと溺れたんだね」。「そうじゃないね。まだお告げがないから」。オルセン夫人との遭遇については、デンマーク版の方が原作に近い。唯一違うのは、行方不明が「何年」もではなく、1年と短いこと。
  
  
  

農場に辿り着いたペレ。冷たい海に落ちた影響は、途中で体を拭いてもらっただけでは収まらない。納屋で、毛布に包まれ、熱い飲み物をもらっている。父のラッセの興味は、もっぱらオルセン夫人。「わしらは、いつも小金を身の回りに置いてるって話したか?」。「ううん」。「じゃあ、次には話せよ。シラミみたいに貧しいなんて 思われたくないからな」。「次に?」。「次に、奥さんに会う時だ。だけど、もう氷の海には飛び込むなよ」。「僕、そんなにバカじゃないよ」。「で、奥さんちは暖かったか? 清潔だったか?」(1枚目の写真)。ここで、飲み物を飲んだペレが、あまりの不味さに「げ、これ何?」と訊く。「たまねぎの汁だ。リラックスする」。「父さんの便秘薬じゃないの?」。ラッセは、真面目な顔になってペレに話しかける。「ペレ、いつまでもストン農場にいたくないだろ? わしは、わが家が欲しい。お前に母さんができるなら、カルナでもオルセンさんでも構わん」。「そしたら、日曜にベッドでコーヒーが飲めるね」とペレが笑う(2枚目の写真)。この「日曜にベッドでコーヒー」は、本来、ラッセがオルセン夫人の家を初めて訪れた際に「理想」として口に出す言葉で〔原作15章〕、デンマーク版でも、それを踏襲している。
  
  

3月の中頃〔16章〕、農場に1台の馬車が到着する。中には、コンストロップと一緒に、若く美しい女性が乗っている。その女性を、女主人のフルーが嬉しそうに出迎える(1枚目の写真)。女性は、「マリア伯母さん」と言い、フルーは「何て素敵なの。大きくなって」と驚く。「父がよろしくと」。「コペンハーゲンの様子を話してちょうだい」。映画では、姪という設定で農場主が連れてくるが、原作では、長らく農場を留守にしていたフルーが、若い「親戚」と一緒に戻って来たと書いてあるだけ。いずれにせよ、女主人がコペンハーゲンのような都会から、この地の果てまで呼んだことには変わりはない。それを見ていたカルナが、ラッセに、「寂しいので呼んだのかもね」。「あんな若い娘さんをかい?」。「ご主人に、きれいな顔をみせびらかしたかったのかもね。それとも、外食ばかりして欲しくなかったのかも」(2枚目の写真)。原作では、ここでこの話題は打ち切られ、19章になって一気に大きな展開を見せる。
  
  

ペレが、「父さん」と叫びながら牛小屋に駆け込んで来る。「父さん、黒い犬が… 黒い犬が現れたんだって。水をしたたらせて」。意味不明の言葉に、「つきあってられん」とすげない父。「オルセンさんだよ、父さん」。この言葉で、父は急に態度を変える。「昨夜、大きな黒い犬がベッドの横にいたんだって。その犬は、船に乗ってた犬で、お告げを持って来たんだそうだよ」。「お告げ?」。「奥さんは起き上がると、窓まで行ったんだって。そしたら、帆を張った船が見えたんだ」(1枚目の写真。ペレが手で波の形を現している)。「すべてが透き通ってたんだ」。「透き通って?」。「オルセンさんの旦那さんが、欄干にうつ伏せになって、髪や髭から水がしたたり落ちてた」(2枚目の写真。ペレが木の柵にうつ伏せになっている)。「それが、お告げなんだって」。「驚いたな」。原作では、15章にお告げの話がある。ただし、会話ではなく文章の形で。この吉報を聞いたラッセは、夜になって(仕事を終えてから)、オルセン夫人の家を訪れる。ラッセがドアをノックすると、しばらくして夫人が現れる。「誰なの?」。「ペレの父、ラッセです」。「お入りなさいよ。寒いとこに立ってないで」。そして、原作とデンマーク版にはあり、東ドイツ版でカットされている重要な夫人の言葉が、本来ここに入る。「あなたが、ペレのお父さん? 息子さんは、すごく小さいのね。でも、まあ座って」。この言葉から、夫人がもっと若い男性を、再婚相手として期待していたことが分かる。「あの子は、遅生まれなんだ。でも、わしは、男の仕事なら 人一倍できますぞ」。ラッセもまたとない機会に、売り込みに必死だ。映画では、食事を出されてからの台詞だが、本来は会ってすぐの台詞だ。ラッセが食事をしながら夫人とする会話は、原作、両映画とも基本的に同じ。相手が頼りになる男かの確認だ(3枚目の写真)。東ドイツ版の最後は、「わしらは、日曜にベッドでコーヒーが飲ましてもらえるかな?」。「わしら? それ、ペレのことね」。「あの子を好いて下さっとるから」。「じゃあ、今、キスしたら どうかしら?」で終る。
  
  
  

ここで、原作13章のエリックのエピソードが使われる。少し登場が遅いようだが、東ドイツ版がエリックという登場人物を重視していない証拠でもある。しかし、原作でもエリックが登場するのは13章と14章のみで、農場での管理人の支配体制に強く反抗する男として描かれるだけだ。デンマーク版では、エリックは、ペレが農場に着いてすぐに登場し、ペレが自立していく上でのメンターとしての役割を担う最重要人物なのだが… 時期は、収穫の秋。農場は、日曜といえども刈り取った穀物を倉庫に収納する作業で忙しい。そこで、エリックが、「午後は休みをもらう」と言い出す。管理人は、「全員が作業を手伝えば、今日中に積み込みが終る。お前は、他の日に休めばいい」と言うが、エリックは頑強に拒む。その後、昼食の時間となり、地下の食堂で、エリックは、「ちくしょう。俺は絶対午後は休んでやるぞ。そのためにニンシを20匹食わなくちゃならんとしてもだ」と口にする。それを聞いた仲間が、「20匹、信じられんな」と言ったことから、賭けが始まる。エリックは、塩漬けのニシンを1匹ずつ摘み上げると、丸ごと口に入れて、きれいに骨や内臓を吐き出していく(1枚目の写真)。5匹目までいったところで、ラッセはペレを連れて外に出る。そして、牛小屋に向かいながら、「みんな賃金に不満なんだ。時間は長いし、食事はひどい。だがな、エリックの態度もいかん。いつも文句ばかり言って、夏中 管理人と衝突してきた。お前は、あの男と係わらない方がいい」と注意する(2枚目の写真)。昼食が済んだ頃、管理人が食堂に行くと、エリックがいない。管理人は馬車置き場に向かう。そこでは、エリックがベッドに横になっていた(仮病)。「何のつもりだ? 病気か?」。そう言うと、管理人は、エリックの毛布を跳ね除け(3枚目の写真)、「それは、死に装束なんだろうな? 墓に入りたいのか。その方がいい、死臭がするからな」と皮肉る。エリックは、「俺は まだ死んじゃいない。それに誰かさんほど臭わんぞ」と挑発。管理人に一発殴られ、さらに拳を振り上げる管理人に向かい、「殴れよ。そしたら、ここには支配者がいるって、みんなにも分かるだろう」と挑発する。
  
  
  

この直後、姪が 慌しく去って行くシーンに変わる。映画の上では、到着したのが3月で、秋の収穫が終った後なので半年後というイメージだが、原作では19章に入っている。その前の17章で3度目の冬が来て、18章で6月26日にペレの誕生日、そして夏至祭もあるので、17・18章で1年が飛んでいる。つまり姪は1年半農場にいたことになる。この間の姪の行動について、実は原作にはほとんど触れられていない。「彼女〔姪〕は、寂しげなフルーを元気付けるため農場に留まるより、コンストロップと一緒に馬車で町まで行くことを好んだ。フルーは、内心ではどう思ったにせよ、若い親類を怪しむ素振りは見せなかった。フルーは、彼女を、自分の娘のように可愛がった」。それが、急に、「彼女は、もう帰ると言い始めた。コペンハーゲンに行って、もっと学びたいというというのだ。これは、農場の資産を相続するに違いないと思っていた大方の予想からすれば、奇妙なことだった。フルーは彼女を失うかと思って動転し、他のすべてのごたごたを忘れるほどだった」。そして、別れと旅立ち。「若い淑女は、泣き濡れた顔で馬車に乗り込んだ。コンストロップは茫然とし、女主人は出てこなかった」。映画では、両国版とも、女主人は見送りに来るが、同時にRudを産んだ母親も現れてコンストロップを告発する。「あんたが馬車で逃げるのは、海の向こうで私生児を産むためね、あたしがカブの畑でしたように」。そして、扉から出て来たコンストロップを睨んで、「それも、お偉いさんのせいだわね。あたしらは、好色野郎にやられるしかないから」(1枚目の写真)。これでようやく フルーは事態の真相を知る。ラッセやペレの牛小屋にも、その夜、フルーの悲しい叫び声が響き渡る。しかし、姪を港まで送って翌朝戻って来たコンストロップを、フルーは何故か優しく迎える。それを見たラッセは、学校に向かうペレに「すごく自制心のあるお方だな」と話しかける。しかし、復讐は速やかに行われた。その夜、2人が寝ていると、騒ぎで目が覚める。「お医者を早く呼んで! 一刻を争うわ!」とカルナが御者に向かって叫ぶ。慌しい馬車の出立を茫然と見送る2人(2枚目の写真)。食堂に集まって、どうなるかと心配する使用人たち。館からはコンストロップの絶叫が聞こえてくる。固く抱き合うペレと父(3枚目の写真)。カルナが寄ってきて、「去勢よ」「ご主人が自ら」と説明する。しかし、後になって、医者を連れて戻って来た男たちの間では、「酒を飲まれてから、おやりになったとか」。「違うな、ご主人は、ここでは酒は飲みなさらん」。「じゃあ、奥様がやったのか?」。
  
  
  

終盤にかけて、映画は駆け足状態となる。原作の22章には、ペレをはじめとする子供たちが見守る中で1隻のボートが防波堤に接岸し、そこから1人の男が降りてくる場面がある。オルセン夫人の長年行方不明だった夫の帰還だ。ペレはそれを見て父の元に走る。デンマーク版もそれを踏襲している。しかし、東ドイツ版では、ペレが、学校の帰りに何も知らずにオルセン夫人の家を訪ねると、そこに帰還した夫がいるという設定に変わっている。びっくりしたペレに、夫人は「もうラッセに伝言を送ったけど、結局、夫は戻って来たの」と教える(1枚目の写真)。慌てて農場に帰ったペレが小屋の中で父を捜していると、木の梁に首吊り用の縄がかけてある。父は、その近くで酔っ払って、不満をぶちまけている。ペレは、酔った勢いで愚行を働こうとした父を、ベッドのある区画に連れていって、押し込める(2枚目の写真)。そして、ベッドに横になった父に毛布をかけてやり、頬をなでて見守る(3枚目の写真)。そのうちに、父は鼾をかいて眠り始めた。原作をかなりショートカットしている。
  
  
  

翌日の夜、ペレが藁のベッドに腰をかけ、改まった表情で「父さん」と言う。父は、自分の醜態を責められるかと思い、「誓うよ、昨日のような姿は二度と見せないと」と話しかけるが、ペレは、「そうじゃないよ。堅信礼のこと」と元気なく言う。「それが一体…」。「受けられなくなった」(1枚目の写真)。「いったい何すると、そんなことになるんだ?」。「牧師の息子を殴ってやったんだ。父さんのこと、『オルセン夫人の男妾(おとこめかけ)』なんて呼ぶもんだから」(2枚目の写真)。「そうか… わしの責任だな」。「出てこうよ、父さん、もうここにはいられない」。「どこへ行くんだ? 教会の祝福がないような子を誰が雇う? わしらに残された道は、乞い願うことだけだ」。かくして、2人は、農場主に直訴に行く。因みに、この部分も原作の22章。堅信礼から男妾の台詞まで原作通りだ。デンマーク版は、観客に堅信礼が理由では分かりくいと思ったのか「han skal vises bort(追放になる)」と言わせている。これでは曖昧だが、もっと前にペレが牧師の子を殴った時、牧師は「Du skal komme til at høre fra øvrigheden for det her!(役所から沙汰があるからな)」と怒鳴る。これなら、ペレ親子としては心配になるであろう。
  
  

そして、場面は23章の嘆願の場面へ。ここは本来なかり長く、デンマーク版もそれを踏襲しているが、東ドイツ版は3分の1程度に圧縮してしまい、はっきり言って、何がどうなっているのか非常に分かりにくい。2人がおずおずと館に入って行き、「ちゃんと鼻は拭いたか?」とペレに訊く。鼻をかむ音が大きいので「もっと静かにやれんのか」と言った後で父がドアを恐る恐るノックする(1枚目の写真)。返事がないので、ためらう父を尻目に、ペレは平然と「入ろうよ」と言い、父が、「そんなに慣れてるなら お前から入れ」と先に入らせる。ここまでは原作通り。2人が入って行くと、去勢されて病人になった主人が、黙ってイスに座っている。2人が困っていると、そこに女主人がてきぱきと入って来て、2人に「座って」と声をかけ、主人に持ってきたケーキを食べさせる(2枚目の写真)。そして、その後はすべてカットされ、次のシーンは、2人が玄関から出て行く(3枚目の写真)。この後、父が「必要なのは信頼だけだな」と言い、ペレが、「革靴を買ってもらえると思う?」と訊いたのに対し、「服を約束してくれたんだから、当然だろ。堅信礼の祝宴まで開いてくれるんだからな」と話すことで、懇願が大成功に終ったことが分かる。ただ、カットされた部分は、この厳しい映画の中では珍しくユーモラスでもあり残念が〔詳しくは、デンマーク版参照〕。さらにこの後、原作では、仕立屋が来て、ペレの堅信礼用の服を採寸する場面がある。その点は、事前の台詞「服を約束してくれた」でカバーしている。デンマーク版では、無理に堅信礼を排除したため、ペレを新しい管理人助手にするための服の採寸に変わっている。
  
  
  

東ドイツ版の終盤での加速状況がよく分かるのが次の、暴れ者エリックの反撃と廃人化のシーンだ。まず、先に2枚目の写真をご覧頂くと、そこに玄関を降りたペレと父がいる。これは1つ前の嘆願のシーンで、2人が階段を降りて来た直後なのだ。そこでは、もうエリックが昏倒している。如何に、畳み掛けるような速度で物事が起きているかよく分かる。さて、1枚目の写真に戻り、エリックが管理人に向かってナイフで脅している。これは、原作では、遙か前の14章にあるエピソード。前日の土曜日に、翌日も働けと命じられたエリックは、日曜になって遂にナイフを取り出した。そして、管理人に迫っていく。他の使用人も、管理人のやり方には不満を募らせていたので、誰も止めようとはしない。荷馬車のそばで睨み合い、形勢は管理人に不利に見えたが、地面に落ちていた角材に気付いた管理人は隙を見て拾い上げると、それで 思い切りエリックの頭を叩く。そのまま地面に倒れるエリック。それを見たペレは、「ダメ、ダメ」と悲しむ(3枚目の写真)。しかし、それまで、2人が親しいことを示す場面はほとんどないので、なぜペレが悲しむのか理解に苦しむ。なお、映画では紹介されないが、エリックは、脳震盪の後遺障害で廃人化する。
  
  
  

その次にくるのか、僅か30秒で終る堅信礼のエピソード。映されるのは、儀式ではなく、儀式が終って、外に出て来たペレが、学校の教師から新しい聖書を渡される場面(写真)。原作の23章には、①農場の計らいで、ペレとラッセのために1頭立ての馬車を出してくれたこと、②式は、牧師からの復讐などはなく、平等かつ厳粛に行われたこと、③式の最中、父はこれまでのカルナの献身に対し心から感謝したこと、④式が済んだ後、ペレが女主人の元を訪れ、お礼を言上すると、お祝いを頂戴したこと、などが書かれている。ただし、原作では、この教師は既に死んで(22章)、この世にいない。
  

遂に原作1部最後の24章。時期は4月末。「彼は、さようなら。そして、いろいろありがとう、と農場の全員に声をかけた」。そして、これまで世話してきた牛たちと、別れを悲しんだ。父は、カルナと一緒に暮らすことに決め、2人でペレの出で立ちの準備をしてやる。「わしらは、ずっと一緒にやってきたな。だけど、これからは一人でやっていかにゃならん」。「僕なら大丈夫だよ、父さん。怖いものなんか、何もない」(1枚目の写真)。農場の入口を出てからも、父の心配は続く。「2週間以上 同じシャツを着るんじゃないぞ。シラミを拾ったら、街で笑われるからな。いい評判を得ようと、みんな必死なんだ…」。そう続ける父に思い切り抱きつくペレ(2枚目の写真)。「さよなら、父さん、いろいろありがとう」。父の与えた餞の言葉は、「神も言っておられる。成せば成ると」。父に最後に手を振り(3枚目の写真)、新しい世界に向かって、丘を上っていく。映画の最後は、次のナレーションで終る。「ペレは、自分の子供時代を振り返ってみた。明るい陽光の中で、頭を過ぎるのは楽しい思い出だけで、辛いことはちらとも頭をかすめなかった。今や、彼は、堂々として立ち、健康にして強靭な体を有し、十戒と120の賛美歌を知り、征服者たらんとする決意に満ちていた」。デンマーク版の旅立ち(→写真)と比べてみると、 全く違う。陽光の中の中の堂々して希望に満ちた旅立ちに対し、雪の中の寂しく孤独で不安に満ちた旅立ちだ。原作のストレートな映像化のもつ限界と、芸術にまで昇華した映画の違いが、このラストシーンの違いに端的に現れている。
  
  
  

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